外界に働きかける意識と内面に沈み込む意識と文章を書くこと

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文章には様々なジャンルがありますが、その中身を見てみると、意識が外界に向かっているか、それとも内面に沈み込もうとしているか、の配合で成り立っているという考え方がひとつ出来ると思っています。

例えば「企画書」は「何かを変えるためのアイデアを実現するために、誰にでも分かりやすく文書の形でまとめた書類」のことです。これは意識が外界に向かい世界を変えようとする文章です。企画書作成者の内面に沈み込むことなどはありえません。いかに外界を変えるかを論理的に説明してあれば、その役割を全うできたことになります。

「随筆」は「自己の見聞、体験、感想などを、心に任せて自由な形式で書いた文章」のことです。これは外界の出来事を通して、内面に沈み込んでいくジャンルです。外界に意識を半分投影しながら、その反作用を内面に感じつつ綴る文章ですので、いちど内面に沈み込む必要があります。

だいたい随筆を書くときには、意識の半分で外界で起こったことを観察しつつ、意識の半分で内面に生じたことを感じることがコツだと教えられることがあります。実際はそんな器用なことは出来ないのであって、外界で経験したことを、帰ってゆっくりひとりで内面で生じたことを吟味するというスタイルになるかと思います。ただし、会話では外界に向かいつつ内面に沈み込みそしてまたそれを外界に投げるという瞬発芸が往々にしてみられます。これはこれで興味深いのでまた改めてよく見てみたいと思いますが、今は文章を書くことに戻りましょう。

「小説」も、意識を外界に向けてあたかも建造物を立てていくかのように構築する部分と、深く内面に沈み込んで混沌のなかから言葉を拾ってくる部分があると思います。伝えるべき何かがあり、その何かが最も効果的なメッセージとなるように、細部を構築していくのは、外界指向ですし、勝手に発想がどんどんわいてきて、アドリブで紙面に綴られていくというのは内面指向です。

どちらか100%というわけではなく、人や書くシーンによって割合が違うように思われます。

「評論」には主張があり、その主張を根拠で固めていくものです。直感的に主張的なものがまずあって、後付けで根拠を付す、そういう場合は一部のみ内面の活動と言えますが、作業の大半は意識を外界に向けて情報を収集し、それを主張に結びつけていくというものになります。

話は変わりますが、一般的に学校教育で課される作文は、「随筆」です。「読書感想文」も「随筆」です。「書評」といわれる場合もありますが、書評も自由な書き方が認められる点からして、随筆の特殊形態と見ることができるでしょう。

生徒たちは随筆の書き方を習うわけではありませんので、作文が苦手になるのも無理がありません。

内面に沈み込んだところで、それを外界に向けて表現することに何の意味があるのか。もうここのところからよくわからないのでしょう。なんでこんなことやらんといけないんだよ、とまあそんな感じです。

作文技術を向上させようとすると、人はなぜ表現するのかということを、考える必要があるようです。そしてそれを生徒に伝え納得してもらわなければならない。

私もこの文章を心の赴くままに綴っています。そのような場を設けようという目的で「考えたこと」というカテゴリーをもうけました。

 

 

 

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