ボキャブラリー増強、および論理的思考力「言い換え」能力向上の秘訣

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「言い換え」が国語力の本質

国語の問題の多くは「言い換え」から成り立っています。

「傍線部とあるがどういうことか」

「傍線部と同じ意味で使われている部分を7字で書き抜きなさい」

「傍線部の意味をわかりやすく説明しなさい」

以上のような設問を見たことがきっとあるのではないでしょうか。

これらの設問は「本文中の傍線部の言葉」を「本文中の別の言葉」で探してきてくださいという指示です。

つまり「言い換え」の関係が把握できているかどうかを問うているのです。

 

例えば、本文中に次のような問題があったとします。

問 傍線部の意味を説明しなさい。

「彼は汚してしまった本をおずおずと差し出した。」

 

この「おずおずと」を、似たような表現で説明あるいは選択できれば、正解になります。

しかし、そもそも「おずおずと」の意味が分かっていなければ、答えを本文中から探し出してきたり、自分で記述したり、選択肢を選んだりすることはできません。

もちろん文脈から「おずおずと」の意味を類推することは可能ですが、類推ではある程度意味はしぼれるものの、ピンポイントで意味を言い当てることは難しいのではないでしょうか。例えば、選択肢に「ゆっくりと」というものがあれば、文脈上矛盾しませんので選べてしまいます。

やはり、確実に得点するためには「おずおずと」の意味を知っていなければならないのです。

 

ところがどうでしょう。

みなさん「おずおずと」を辞書等を参照せずに、自分の言葉だけで言い換えることができますか。

多くの人はなかなかうまく言い換えることができないのではないでしょうか。

しかし、もやもやしながらも「だいたいこういう感じなんだけどなぁ」となんとなく漠然とイメージできるのではないでしょうか。なぜなら人生のどこか、たとえば、本、マンガ、映画、家族、友人、テレビ、ネットなどで目にしたことが一度くらいはあるはずだからです(大人の場合ですよ)。

ですから「おずおず」を辞書のようにきれいに言い換えることができなくても、なんとなくぼんやりとイメージできるのではないでしょうか。そうであれば、記述問題はともかく、選択肢問題や抜き出し問題には対応できるはずです。それらしきものを見たら「あ、これだろうな」と気づくからです。ぼんやりとしたイメージが手がかりになって気づくわけです。

そのぼんやりとしたイメージだけで答えを探せる人もいるし、探せない人もいます。もしかするとそのぼんやりとしたイメージすらうかばない人もいるかもしれません。それは人生のどこでも「おずおずと」という言葉に接したことがないのでしょう。

 

「あえかな」

「ほくそ笑む」

「はかがゆく」

 

などの言葉を聞いて、辞書のように言い換えることのできる人は日本人の人口の中で1%を切るのではないでしょうか、

というのも、これらの言葉は日常的には使われることがないからです。本などでも出現頻度はとても低いですね(「ほくそ笑む」はわりと出てきますが)。

超レアキャラですね。

なお、これらの言葉は実際に入試問題にも出ています。

 

国語の問題というのは当然わかりにくい場所を狙って出してきます。簡単な場所を聞いても仕方がないですからね。(あまりにも難しい言葉や専門用語には注釈が付されますが)

 

なんとなくのぼんやりとしたイメージ

私たちは言葉をキレイに言い換えることができなくとも、なんとなくのぼんやりとしたイメージを持っているはずです。

このイメージを手がかりに問題を解いている人が大多数でしょう。

従って、最低でもこの言葉にならない「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」が思い浮かばないと問題は解けないというわけです。

 

ではこの「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」はどのように形成されるのでしょうか。

それは本を読むことです。人と会話することです。映画やマンガやテレビ等も条件付きで意味があります。文字情報だけをたよりに頭を使った方がよりよいと言えます。

例えば本を読むことによって「おずおずと」が出てくる様々な状況に接することができます。たった一回接しただけではイメージは形成されないかもしれません。なぜなら意味がわからなくて飛ばして読んでも読書にはそれほど支障がないからです。

読書が好きな人でわざわざ辞書を引きながら読む人あまり見たことがありません。本の世界に没頭しているからです。

話をもとに戻しますと、本で何回かある言葉に接すると、文脈から「まあだいたいこういう意味だろうな」という「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」が自動的に形成されます。

ちなみに人間の脳には「空白を埋めたがる」という特徴があります。文中の言葉の意味が「?」となると文の前後のつながり(文脈)から自動的に意味を補完するようになります。

それは1回よりは2回、2回よりは3回と繰り返されることによって、より正確に補完されるようになります。

グァバの花が太陽をいっぱいに浴びて美しく咲いていた。
グァバのトロピカルドリンクをきんきんに冷やして海辺で飲んだ。
グァバの実がたわわに実っていた。

この三文を読んで、グァバの意味がわからなくても「くだものっぽい」「南国っぽい」ということが「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」として形成されるはずです。

具体的な言葉だけでなく抽象的な形のないものを表す言葉でも同様です。

もちろんきれいな言語化、正確なイメージ化はできないかもしれませんが「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」は形成されているのではないでしょうか。

以上が「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」の形成の仕方です。

 

幼少の頃や小学校低学年までで、この「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」をどのくらい育てられたかによって後々の国語力向上の伸びしろが決まってくるといっても過言ではありません。

目前の点数にとらわれて、土台作りを怠ると後々つけが回ってくるというわけです。

 

ボキャブラリー=「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」の言語化

まず言葉に対する「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」を育てることが大切です。

これが育ってきてから意識的に言語化することによって、国語力の中枢のひとつ「言い換え力」は盤石になります。

たとえば「おずおずと」という言葉であれば、様々な本を読んで「おずおずと」に何度か出会います。出会うことによって「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」が自動的に形成されます(読み飛ばしてなければですが)。

そして「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」を言葉に言い換えることによって「おずおず=おそるおそる」という言い換えが成立するわけです。この等式が頭の中にあれば、

「彼は汚してしまった本をおずおずと差し出した。」

について尋ねられても

ああ、たしか「おずおず」は「おそるおそる」という意味だったな。だったら「おそるおそる」と似たような表現を探せばいいんだな。

と思考することができます。

私は常々、授業中「自分の言葉で考えろ」といった意味のことを伝えていますが、これがまさに自分の言葉で考えるということです。

傍線部が引かれていて問題になっていると、その言葉や表現について自分の頭で考えることなく、いきなり本文を探しにいったり、選択肢を選びにいったりしてしまいがちなのですが、これではいけません。自分の頭で考えていないからです。頭の中で自分の言葉でつぶやいてください。つぶやいて本文や選択肢を探すから答えが明確に見えてくるのです。

自分の頭で言い換えようとしないやり方を私はよく「コピペ解答」と読んでいます。それっぽいところを切り貼りして、適当にくっつけて解答を作る方法で、発展がありません。

これでは自分で考えていることにはなりませんので問題を解いた結果なんの経験値にもなりません。

1 傍線部「おずおずと」の意味を聞かれる
2 「おずおずと」の「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」を想起する
3 頭の中で「おそるおそるって意味だろうな」とつぶやく。
4 解答を選ぶ。探す。あるいは記述する。

この3のプロセス抜きに解答を作ってはいけません。

なんとなくのぼんやりとしたイメージだけで解答できるかもしれませんが、それは発展性がありません。極力言語化することが肝です。

私は様々な生徒についてこのプロセスのどこが欠落していて、どこができているのかをずっと観察してきました。

言い換え系問題で間違うパターンとして以下の3パターンがあります。

A そもそもイメージがわかない
B 言語化できておらず、なんとなくのぼんやりしたイメージだけを手がかりにしている
C 探すのに手間取る、気がつかない

この3パターンのどこでつまずいているかを把握することによって次にどのような手を打つべきかが明らかになります。

 

ボキャブラリーを増やし論理的思考力を向上させるためにどういう勉強をすればよいのか

以上をふまえ、では結局どういう勉強をすれば良いのかをまとめてみましょう。

読書

読書をおすすめします。様々なジャンルの本に接することによって、数多くの疑似体験を通じ、言葉とイメージのつながりを強化していくことができます。

読書による言葉とイメージの関係強化は一朝一夕になるものではありません。それこそ、赤ちゃんのときから積み重ねてきた言語経験の集大成です。

絵本、マンガ、文字だけの本などの読書の質と量がものをいいます。

国語がセンスと言われるのも、読書による言語イメージ形成が一朝一夕に成り立たないことに起因するでしょう。

読書を繰り返すことによって、わざわざ辞書を調べなくても頭の中に「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」が形成され、「あ、この言葉ってだいたいこんな感じのシーンで使われていたな。だからこんな意味だろうな」という類推が利くようになるわけです。

 

言葉を直接覚えること

読書が重要と言いましたが、受験生に読書をするヒマはありません。学校に行って、塾に通って、他の科目も勉強して、となると読書をする時間を捻出するのは難しいと言わざるを得ません。

また、読書はほぼランダムに言葉が出てくるため、どうしても出てくる言葉に偏りが生じてしまいます。入試では難しい言葉や表現が狙われますので、読書だけでは心もとないのです。

このような、ある言葉についての「なんとなくのぼんやりしたイメージ」が形成できていない場合、まず言葉の定義(言い換え表現)を暗記してしまうというてっとり早い手があります。

読書で「おずおずと」という言葉全く目にしたことがなく、イメージが全くわかなくても、「おずおずと」が出てきたら「おそるおそる」という暗記しておいた「言い換え表現」におきかえることによって解答を導くことができるからです。

従ってやるべきことは、ちまたにあるボキャブラリーの本、塾などで配布されるテキスト、などで言葉を暗記することです。

悪名高い詰め込み教育というやつですが、からっぽより詰め込まれていた方がいいに決まっています。思考とは言葉の運用ですから、言葉が頭の中になければろくな思考もできません。

冷蔵庫の中にろくに食材もないような状態で、ごちそうを作れと言われても無理なのと同じです。

覚えて覚えて覚えまくりましょう。

もし入試まで時間がないのに特に有効な手を打てていないのであれば、単語を徹底的に覚えるのが近道です。

なお、読書をたくさんしている子でも、極力言葉を意識的に言い換えられるようにしておくのがよいです。「なんとなくのぼんやりとしたイメージ」をしっかりと違う言葉置き換えることができれば国語力は盤石といえるでしょう。

覚えるときの注意点ですが、厳密な辞書的な定期でなくてもかまいません。というより厳密な定義を覚えることは現実的に不可能です。なるべくひとことで言い換えるのがコツです。ボキャブラリーの本などでは正確さを重視して、長々と説明をしているものがあります(ほぼすべてがそうですね)が、まじめに覚える必要はありません。

たとえば、「おずおずと」は「相手をおそれてためらいながらする様子」のように説明されているかもしれません。これをまるまる覚えるのは言い換え表現をとても豊かにしてくれるので、悪くはないことだと思います。しかしこと効率ということになると、全てをまるまる覚えていられません。

したがって、言葉のコアになる意味だけをできるだけ「ひとこと」で覚えます。

「おずおずと」=「おそるおそる」

でオッケーなのです。

 

ボキャブラリー集を買って挫折するのは、丸々覚えようとするからです。「自分の言葉」に言い換えることさえできれば良いわけですから、ボキャブラリー本の意味説明のコアの部分だけに線を引くとか、横に自分がわかりやすい言葉でメモしておきましょう。

ちなみに「自分の言葉」とは自分が普段使うリアリティのある分かりやすい言葉のことです。小学4年生が理解できるくらいの言葉と考えるとよいかもしれません。(大学受験の場合は小学6年生が理解できるくらいの言葉と考えてください)

 

まとめ

読書をすること。

ボキャブラリーの本で直接言葉を暗記すること。

これが国語力全般を向上させることができます。これらを地道にこつこつと続けていくことが、短期的には真似できない国語力を身につけることができるというわけです。

 

 

 

 

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